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01 02, 2012 | 雑記

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まつのじさんのこの記事を読んで「本を読む本」という本を思い出した。
この本には本の読み方についてかなり詳しく書いてある。国語の問題が案外解けないことに自分の読解力に疑問を覚えた高一の僕は学校をサボり、近所のスーパーのベンチで加藤周一の「読書術」という本を読んだ。「読書術」は正直なところ実践的な読解法について直接に手ほどきしてくれるような本ではなかったのであまり役に立たなかった。だが、そこで紹介されていたのがこのアドラーの「本を読む本」であった。
僕はこの本を最後まで読んでいない。当時の僕の能力では読みこなせず、挫折したのだ。本を読めるようになりたいから読んでいるというのにおかしな話だ。それでも半分くらいは読んだので、それはそれなりに役立っている気もする。
本を読む前に目的をはっきりさせなければならない。知識のための読書なのか、理解のための読書なのか。あるいは娯楽か。本を読む理由なんてなんだっていい。どれだけ自分が不純な動機で本を読んだとしてもだれも咎めたりはしない。けれど、自分自身はそこをはっきりと見定めて意識しておかないと読み切るまでに迷子になってしまう。著者の意見を正確につかみたいなら全体像を意識しながらメモをするなりして論理を追っていく必要があるし、何かの知識が欲しいだけなら必要なところだけ探しておぼえればいい。娯楽なら線を引く必要すらなく、要は楽しめればそれでいいはずだ。
ところで、こんなことはネットの文章に対してはとっくにやっていることに気づく。Wikipediaのやたら多い情報の中から必要なセンテンスを抜き出す。長いだけで見通しの悪いブログの記事を行ったり来たりして彼の言いたいことを理解する。へたくそな小説の字面をなんとなく追う。たぶん、本だと思うと変に身構えるのではないか。
本を読むというのは難しいことだと思う。読みの正しさは読みの精度を上げていくことでより信頼できるものとなるが保証されることはない。著者の云いたいことを完全に理解することなど、そもそも不可能と言えるかもしれない。
しかし、これは単純に悪いことだとも言いきれない。創造的な誤読というのもあるのだし、解釈の自由が生み出す世界というのもある。

誰かの読みの深さに感動することがある。こんなふうに読む人がいるのか、と。
これは読解力というより個人のパースペクティブにかかっていると思う。建築家の読みと精神科医の読みでは視点が全然違う。文学者の読みは文学者の読みであるというだけで偉いわけではない。どんなものを見てきたか、どんなことを考えてきたのかが表れている気がする。
読書メーターというのはおもしろい。自分の読みをそこに書いて、つまらないと星がつかないけれど、うまく書けるといつもより多めに星がつく。

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