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格率

09 10, 2009 | 雑記

2

 人間の生に意味は無い。
 人は生まれながらに何か目的を持っているわけではないのだ。
 人の執着は後天的に、その経験の中で構築されていくものだ。
 執着は、生き甲斐であり、情熱であり、目的である。
 しかし、執着は同時に恐怖であり、苦しみである。恐怖とは執着するものを失う可能性を思うことであり、苦しみとは欲望のかなわないことであるからだ。
 故に執着を棄てれば、あらゆる苦しみから、死の恐怖からすら解放されるだろう。
 世の中で名を馳せる一流の人たちは大方、人一倍の執着を持っている。彼らは恐怖しているだろう。だが、幸福であるようにも見える。人間的な幸福だ。
 自身の思想を完全に自身のものとして、執着を棄てれば、それもまた穏やかで幸福であるように思われる。
 どちらが良いのか。どちらがより幸福だろうか。それは判然としない。
 私は、すべての執着というものが棄てうる程度の無意味なものであることを自覚した上で、その執着に従おうと思う。執着に値しないと分かっているものに、欺瞞的に執着しようと思うのだ。
 人間的な幸福と穏やかな幸福の両方を得られるかもしれない。
 強欲に生きようと思う。



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« 宣誓 未来と現在 »

- Comments
2 Comments

言ってしまえば全ての事に意味なんてありませんよね。
言葉だって結局、仮定です。

そして執着とは自身の自由を奪うのでしょうね。
私は確かにそれを実感じます。
でもその不自由を苦だと感じた事はありません。
(今のところはw)
むしろ自由になってしまったら困ると思います。
人間は不自由が好きなのです。

by むむりく | 09 10, 2009 - URLedit ]

>>むむりくさん
そうですね。
執着を持たないことは自由ですね。
確かに自由とは寄る辺を持たないということですから、俗世に生きるにはそぐわないです。
全ての執着(欲求)を棄てるならば、何もしないでしょうから、哲学的ニートの道をまっしぐらですよね。普通のニートと違うのは何があってもニートを続けられるという腰の据わり加減でしょうか。
進路の悩みには全く答えてはくれませんしね。
僕が意味だとかそういうのが気になりだしたのって、進路選択が直接にではないけれど、結構関係していた気がします。

不自由を感じたこと無いんですか。
死ぬのは良くないことだとか、そういう価値観の中に囚われるというか。何で自分は死ぬことをこんなに怖がっているんだ!みたいな。
孤独からどうやったら抜け出せるか、とか。
最近になってやっと、欲求を絶つコツみたいなのが分かってきたみたいで。大分解放されました。

何だか読み返すと、言ってることが支離滅裂です。眠いのかな。

by R.ogawa | 09 10, 2009 - URL [ edit ]

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