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なんだかよくわからない。

01 03, 2010 | 雑記

3


信念とは無根拠に僕らが揺ぎ無いとしているもののことだ。
哲学的懐疑とはその信念を破壊したり認識したりすることである。
世界が存在するという信念。言葉が通じているという信念。真理という信念。
これらは少々メタな例だ。
もっと生活的なものをあげると、例えば、いい大学に入りいい会社に就職して生活を安定させることが幸福であるという信念。

片っ端から疑って信念というものを取り去ってしまえば、何も残りはしない。
メタな部分はともかくとして、(実際のところ世界が存在しないということを本当に信られる人は稀だ。)もっと低次な次元のものに関して、懐疑的であることは非常に生き辛い。

よるべなきひとである必要はないだろう。
懐疑的であらねばならない理由は無いのだ。
何かひとつ、信念をもってはどうか。自らにルールを定めてはどうか。
シンプルで確かな。
例えば、ある特定のだれかを決して裏切らないとか。


この例に、何か魅力を感じた人は多いかもしれない。
よるべを求めているところがあるからなのか、孤独を感じているためなのか。
この例に似たものは日常的に起こっている。結婚だとか、恋人の関係とかそういうのだ。裏切らないという形式だ。
だが、これによってそれらの不安から開放されるとは思えない。誓いを立てあった多くのカップルが後に別れているのは周知の事実だ。

そういったルールを敗れないというルールは無い。
それは自らの意思によってしか存続しない。

では、この試みはまったく無意味かというとそうはならないだろう。
とりあえず、やってみてもいいかもしれない。


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« ラヂオ フランシーヌ »

- Comments
3 Comments

「特定の誰かを信じる」という選択肢より「特定の誰かを裏切らない」を選んだあたりRさんらしいな と思いました
吾もその方がすがすがしくてすきです

by コウ | 01 04, 2010 - URL [ edit ]

寄る辺なき人であるという苦痛を甘受して僕は徹底した懐疑論者となろうと決意した。故に僕にとって確実なものは存在しない、全ては表象に過ぎない・・・

そう言いきってみると、僕にとっての信念は「自分は懐疑論者である」という事実なのではないかと気付く。デカルトの言葉を思う。

by 北落師門 | 01 04, 2010 - URLedit ]

返信
>>コウさん
信じるって言葉は、どこかで相手も取り込んで、自己完結してない気がしたので。。
僕らしいですか。なんか、よかったです。w

>>北落師門さん
懐疑の果ての、考えているそれは、本当に自分なのか。と、最近懐疑しています。

by R.ogawa | 01 06, 2010 - URL [ edit ]

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