スポンサーサイト

-- --, -- | スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

11 15, 2010 | 雑記

0

このフェンスの針金から指を三本ほど離して、少し体重を前に傾ければ3秒ほどの後に私の命は、少なくとも普通生きていると呼ばれるこの状態から開放されることでしょう。
この世には生きている人しかいないのだから、考えてみれば死ぬことに否定的な人ばかりいるのは当たり前のことなのです。
周りの人々が生きているというのは私が生きていなければならないという理由にはなりません。確かに世の全ての人々が生きているという事実は、苦しみつつも生きようと思う人にとって励みになったりすることはあるのでしょう。しかし、それは自然に死を求める人にとってこの世に留まる理由にはなりません。

私を止めようとする人がいました。
友人や両親に先生です。
私を説得しようとする言葉はいつも何らかの嘘の感情を孕んでいます。彼らのだれもが生きることに確かな価値などというものを見出してはいないのです。大した理由など持ってはいないのです。それでも私を説得しようと言葉を繕います。
これらは理性的な人なら誰が聞いてもおかしな理屈だと思うのですが、死ぬことにためらいの多い人はこれで説得されます。そんな人は純粋に死にたいなどと思ってはいない人です。

私は違います。
私は先生が先生の奥さんをその昔なんとなく気に入っていたように、みなさんがなんとなく生きているように、ただ、なんとなく死にたいのです。
どこにそれを妨げる必要がありましょうか。あるとしたら、それはあなたの希望のためでしょうが、それは私の希望ではないのです。




スポンサーサイト

« Q:人を殺すのに理由は必要ですか? 空気を吸うこと »

- Comments
0 Comments

管理者にだけ表示を許可する
- Trackbacks
0 Trackbacks


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

RSS
プロフィール

R.ogawa

Author:R.ogawa
所在地:秘密
年齢:秘密
性別:秘密
趣味:秘密

ブロとも申請フォーム
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
カウンター

現在の閲覧者数:
最新トラックバック
ランキング

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。