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動物ラブ。

06 21, 2011 | 考え言

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極端な動物愛護団体がのさばるのは、人権のそもそもの原理が信仰に基づいたものだからだ。
動物の「人権」を侵害している事態は僕らをどこか不安な気持ちにさせる。それはこの事態が動物の一種であるヒトの権利の正当性に疑問感を与えるからではないだろうかと思う。人間が平等であるべきだなどというのは何か確かなものから導かれることではなくて、ただ人がそれを信じているだけなのだ。人間社会はこの信念の上に築かれた。だから、この疑問感は今日の世界を破壊しうる脅威なのである。ぼくらはきっとそこに恐怖を感じているのだ。
権利というものは拡大されることによってその正当性を増してゆく。広がるに連れてより疑いがたいものになってゆくものだ。動物園における動物のQOLや家畜の生存権について悩むことは逆に人間社会への愛のあらわれである。彼らは社会を守りたいと思うがゆえに少々過剰な行動に出てまで動物の「人権」を主張している。すべての人間がキリストを信じているわけではない以上、人権のさらなる正当性を確保し、人間社会を守るためにはその対象を拡大するのが手っ取り早い。
過剰な動物愛護家に対して真っ向から対立するのが難しい理由もここにある。
彼らの前で肉を食べるためにはヒトと牛の違いを明確にし、権利がヒトにあって牛にない理由を述べるか、あるいはいっそヒトの肉も食らうことにしなければならない。しかしそれは難しい。人権は出どころがあやふやで柔軟なのだった。動物に敷延していけないわけがあろうか。
というわけで、実験でのラットの使用にじれったい手続きを必要とする状況は当分かわらないのではないかと思う。
そんな中で一般家庭の台所の隙間の暗くなったところにネズミ用の毒団子が置いてあるというのは少し笑える話だ。
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