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Re Re ささやかな拷問

03 28, 2012 | 雑記

2

前回の記事と同じものをmixiにもアップしていた。
mixiの方ではコメントをいただいて、それに対して返信を書いた。これがなかなか長文になり、これはまた拍手をくださった北落さんへの返信にもなるかもしれないと思ったのでここに転載しておくことにする。



確かにみんなどうせ死ぬだろうけれども、それでも僕は、今は生きてみることを選びました。そのうち死を選ぶ時がくるかもしれないけれど、その時はその時の判断に任せます。
ニヒリスティックな考えが後をついて回るけれども、それは意識的に断ち切る。思考停止だと友人に言われもしましたが、処世術として、一つの生き方として僕はアリだと思う。正しいとか正しくないとかではなくて、これは僕個人の単なる選択だから。文句を言われる筋合いはないのだと。
乗り越えるのではなく、切り捨てたのです。
ただ、これはたぶん両刃の剣で、切り捨てつづけた結果、獣が一匹。ということにもなりかねないけれども。
懐疑的な精神が、もちろん哲学的思索には不欠だけど、生きるのには邪魔なことが多い。世界の存在を疑いながら生きるのは難しいしいけれど、証明してやれるのは証明することが原理的に不可能だということだけ。なら、信じてしまえばいいのではないかと思ったんです。
デカルトの懐疑は「方法的懐疑」でした。彼もそんな疑いを抱えたまま生きていたわけではないはず。また、省察にあったような証明を本気で書いていたとも僕には思いがたい。やっぱりデカルトの懐疑はあくまで学問の方法としての懐疑だ。それは生きる方法としての信仰というものを示しているとも思えます。
もやもやとしているものを、そのもやもやごと切り捨てる。
これがいいことかどうかはわからないですよ。でも、時間は無限に与えられているわけではない。
フレーム問題という、ロボット工学の問題があります。自律思考するヒューマノイドにどこまで考えさせるか、その思考のフレームをどのように設定するか、という難題です。フレームが無いと無限に思考し続けてしまう。たとえば、机の上のコップを持ち上げるにしても、そのコップが実は机とくっついていて、持ち上げるとその揺れで燭台が倒れてしまうという可能性はある。でも実際にはそんなこと考えなくてもいいから、じゃあ、そんなことは考え無いようにプログラムしてしまうと、これはダメなわけです。これじゃあ人間の知能と全然違う。人間はどこまで考えるかも自分で決めなきゃならない。自動車を運転するときなんかは人は無意識にこんな処理をたくさんしているわけだけど、理性によって、言葉によってフレームを設定しようとするとこれまた無限の時間がかかる。それを防ぐためのフレームなのに、フレームを作るのにもまた無限の時間がかかってしまう。どこまで考えるのが最良か、などというのは結局のところ現実的には不可知の領域のものなのです。
僕の言う悩みというのは、元を辿れば、だいたいこういうところから出てきていて、だから、悩まずに決断してしまう。
それでもやっぱり悩みたくなるけれど、それは意思で黙らせる。こんなのは合理的思考とは呼べない、いわば悩みです。
ウィトゲンシュタインの言うように、語りえぬものについては沈黙せねばならない。ちょっと話は違いますが言いたいことは似たようなものです。
たまには不可知の淵を覗いてみるのもいいかもしれないけれど、それに囚われない。そう生きようと思います。

僕は自分の話しかできません。だから、こんなのがそのままむつみんさんに応用できるとも思いません。けれど、なにか役にたてば幸です。
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« 反省 ささやかな拷問 »

- Comments
2 Comments

実際にどう生きるかという問題と、哲学としてどう生きるべきかという問題を繋げるべきかそうでないかというのは哲学する者にとってかなり面倒な難題ではないでしょうか。
僕も疑う。何から何まで疑う。時折それが生活を侵蝕して途方に暮れてしまうこともある。けれども何だかんだ言いながら僕は生きている。
小川さんのように意識的に生きることを選択したのではなく、惰性でずるずると生きているだけです。何故生きるのかは判らない、というよりそれに答えることは絶対にできないように思います。答えられてもそれはやはり根拠のない"信仰"です。
誰も無限には生きられないから、理由を遡り続けていくこともできません(有限の立場)。結局どこか程度の差はあれど"信仰"で止まるしかない。思考停止する"しか"ない。
ただ思考を停止させるか、可能な限り続けていくかはこれも個人の選択です。(悩み続けて死ぬのもいいんじゃないかなあとは個人的に思ってみたりもするのですが;;)
僕がおめでとうと言いたかったのは、小川さんが確固とした生き方を手に入れられたこと。それが後でいくら変化しようとも、"今"はっきりしたビジョンを持てるのはとても得難いことだと思います。
(不可知の深淵に引きずり込まれかけてずっとふらふらし続けている身にとっては物凄く羨ましい。本当は。)

by 北落師門 | 03 30, 2012 - URLedit ]

返信
>>北落師門さん

てっきり「おめでとう」は受験のことかと。(笑)

僕は今だってまだその深淵に引かれ続けています。
今こそ受験もあったので淵から離れていますが、またどっぷりと浸かることもあるかもしれない。というより、あるでしょう。
しかし、そのどっぷりした中にいても個人の選択のレヴェルで「考えない自由」はある。他の多くの人と同じように、考るのを止めてしまっても誰も文句は言わない。なら、あとは実際にできるかどうかですが、どうやら僕はできるようです。
疑念を振り払う精神的な技術を得られたような気がするのです。北落さんの言うように、とりあえず"今"はそんなものが得られたことを信仰しているわけです。w

こんなにも話が通じるものかと北落さんのコメントを読んで思いました。なんだかうれしい。
願望に基づく推測かもしれませんけど。







by 小川 | 03 30, 2012 - URL [ edit ]

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