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のんのんのん

06 13, 2009 | 雑記

2

道の道とすべきは常の道にあらず。
名の名とすべきは常の名にあらず。
名無きは天地の初め。名あるは万物の母。

だそうである。
なんのことだか。

「大器晩成」などという。
これは、上の文とおなじで、老子道徳経からの言葉だ。
以前、論語を少し読んだことがあるが、何だか説教くさくて、つまらないし、ダサいものだった。国語の授業で教科書に論語の文が載っていたりするとうんざりする。
けれど、この「老子」は説教くさい感じは無く、意味こそ理解するのは難いが、なんだかカッコいい本だ。
岩波の「図書」の6月号を読んでいたら、「老子」の記事を見つけた。
僕の買った、岩波文庫の「老子」の訳者の記事だった。
彼が言うには、「大器晩成」の「晩」は、単に否定の意味で、「大器は完成しない」という解釈のほうが正しいのでは、ということである。
これは衝撃。
この言葉は、ぼくや、その落ちぶれた仲間たちがしばしば使ういいわけである。


たまたま今日発見したので、中学のときに書いた、何だか今となっては恥ずかしい作文を以下に掲載。
-------------------------------
 思索を巡らせていると、ある日突然、とてつもない壁にぶち当たる。何千年という間、人類が超えようとし、いまだに、確かにこえられない壁である。
 この壁にぶち当たったとき、何とか乗り越えようと、死ぬまで考え続けるのが哲学者で、みなかったことにするのが普通の人である。
 どちらがよくて、どちらが悪いとか言うことはできない。なぜなら、この問題はそもそもそんなことを議論する次元にないからだ。 
僕の尊敬する数名の人物の中に小林秀雄という人がいる。彼は、「様々なる意匠」という書き物で有名だが、その冒頭文の中にはこのように書かれている「劣悪を指嗾しないいかなる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しないいかなる劣悪な言葉もない。」
 言葉に善悪などない。
 小林秀雄は、また、こうも書いている。  「この世にひとつとして簡単に片付く問題はない」
 世界はわからないことで固められている。いや、わかっていることはない、といったほうが正しいかもしれない。このことに気がつくことなく、一生を呑気に終える者は多い。だが、これに気がつき、確実なものを得るために一生奔走する者もまた、少なからずいる。これも、どちらが良いとはいえないが、後者の歩む人生が前者よりは充実しているということは、恐らくそうである。
 僕は後者を生く。
--------------------------------
こんなものをあえて公にしてみるのは、自分に恥をかかせる一種のマゾヒズムなのか?
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- Comments
2 Comments

足跡メルシーです
コメントするほど
よくなかったですか?
私の詩 又来て下さい
と言ってももうすぐ
閉じるんですけど
最後の記念にコメントなど
頂けると嬉しいです。

by 裕佳里 | 06 14, 2009 - URL [ edit ]

はじめまして。
俺も「様々なる意匠」について短評してみたよ(批判してるけど)。
もしよかったら、リンクフリーってことなんで、リンク貼っていいかな?
当方アラフォーのオッサンだけど。

by nobody | 07 15, 2009 - URLedit ]

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