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空想講義 ~どうして人は生きるのか

10 01, 2008 | 雑記

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「何のために人はいきるの?」というありふれた問いに、「それは人によって違う」だとかいう答え方をする人がいます。
しかし、これはおかしい。
生きているということについて人は平等であるのだから、それぞれに違うなんていうのはおかしいじゃないか。
この問いに対して複数の回答が許されるのは、この問いの解釈が幾通りにもありうるからです。
では、今回話そうと思うこの問いの解釈を狭めるために、他の言葉に言い換えてみることにしましょう。
「生きる目的とは何なのか、或いは在るのか」
「生きる必要性はあるのか」
「どうして人は生きているのか」
なんとなくわかっていただけましたか。

結論から言うと、私たちの今回求めている「生きる目的」というものは無い。
なぜなら、私たちは現在生きているにもかかわらず、それを問うているからです。問うということは知らないということでしょう。生きている当人にもわからないようなものを私は目的といわない。
では、何故目的も無く私たちは生きているのでしょうか。
それは、私たちがそのようにできていた、という他は無いでしょう。
なぜこのように私たちはできているのか、については存在の謎というやつです。これは形而上学的問いと呼ばれ、現代ではこれを研究することは憚られるようです。多くの人が疑問を持つにも関わらず。棄てられた問題なのです。棄てられる程の難問なのです。ですから、ここへは今回、立ち入らないことにします。

私は死について考えたとき、とっとと死んだほうが良いと思うことがありました。
それは、合理的に考えれば、どうせ死ぬのであるから、人生という部分を省略してしまったほうが早いんじゃないかということです。(ここでは死後の世界については考えません。)
しかし、よく考えてみると、「合理的に考える」とか「早いほうがいい」という考え方はこの世に於いて成り立っているものなのです。
合理的である必要は無い。時間を短縮する必要も無い。
ここで私は一段階自由になりました。好きなようにすれば良いのです。
極端なはなし、死んでもいいのです。
ただ、先ほど述べたように、私たちは打ち勝てないわけでは在りませんが、多少生きたいと思うようにできています。ですから、とりあえずそれに従っていれば良いと思うのです。

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